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刺繍について
日本刺繍とは
今から千数百年前に中国から渡来し、日本で長い年月をかけ、様々な工夫がされました。そして今に伝わる独自の刺繍が日本刺繍です。
今ではミシンでの刺繍が大半を占めていますが、伝統と芸術として古くから親しまれてきました。
そんな伝統の日本刺繍(京繍)の技を、中村刺繍の沿革と共に、皆様にご紹介いたします。
私と日本刺繍の出会い
今は日本刺繍を業としている私ですが、日本刺繍なるものを知ったのは、主人(中村 孝治)と結婚して(昭和30年)初めてでした。刺繍台その他の道具も珍しいと思ったものです。
主人は朝早くから夜遅くまで刺繍台に向かっていました。見ている分にはとても簡単そうなので、私もしてみたいと思い、針を持ってみましたが、これが結構大変でした。
昭和30年代〜40年代に掛けて、日本がだんだん豊かになってきました。それに伴い、日本刺繍を施した着物や帯がどんどん売れるようになってきました。
私どもの仕事も忙しく、毎日追われるようになってきました。 針を持つことをためらっていた私でしたが、この際、私も習ってみようと決意し、針を持つようになりました。 主人と私の2人では仕事が間に合わなくなり、1人、2人とお弟子さんを求めるようになりました。
この頃は日常的にも着物を着ている人も多く、子供達の入学式、卒業式等には黒羽織が定番のようなものでした。
この黒羽織には日本刺繍を施し、(和装品の中でも日本刺繍がしてあるというのは、最高級品と位置付けられていました。)私もご多分に洩れず、刺繍入りの黒羽織を誇らしげに着たものです。
40年代〜50年代にかけて、ミシンの性能も高まり、段々、ミシン刺繍が多くなり、手刺繍は衰退の一途を辿るのかと心配しました。
ところが、やはり機械と人間の手の違いが見直されるようになりました。高級志向の方は、”やはり手刺繍に限る”と言われるようになりました。が、残念なことに50年代〜60年代と進むにつれて、着物を着る人が減ってしまったことです。
それでもお嫁入りする時には必ず一通りの和服普段着から式服までを箪笥に入れるのが慣わしでしたが、この慣わしも近頃では不要と言われ、和装業に携わる者としては本当に悲しいことです。
それでも、この頃では、日本刺繍を趣味にしたいとか、お茶、お花のお稽古をされている方々が、ご自分の着物に自分で刺繍をしたいと考えておられるらしく、その様な声を耳にするようになりました。
また、着物をリフォームやリサイクルしようという人も多くなってきました。 箪笥に眠っている刺繍の入った着物を洋服に蘇らせたり、染め直し、シミ落とし、刺繍を追加するなど、様々な工夫により現在もその伝統が親しまれています。
昨今の日本刺繍
着物離れを云われる昨今ですが、西陣に住んでおり、茶道の家元両千家に近くという事もあって、家の近くでは和服姿をよく見かけます。教室にも和服姿でお稽古に来る方もいます。
日本刺繍を習いたいという方が、本当に沢山おいでになります。私共の教室に通って下さる方も年々増えてきています。生徒さんの作品展も数多く開催しております。
皆さんの上達の早さにびっくりしています。本職が脅かされるのではと、喜んでよいのやら、悲しんでよいのやら。
通信教育でも何人かの方がお稽古をされまして、作品展にも参加していただき、賑やかに作品展が出来ました事を本当にうれしく思いました。
刺繍にまつわるお話
今はブライトンホテルになっている場所に、昔手芸女学校(後の橘高校)がありました。(このあたりは安倍晴明にゆかりのあるところのようです。安倍晴明といえば今、京都では観光に来た人が一度は行ってみたいと思う晴明神社に祀られています。)その学校では教科の一つに日本刺繍があったそうです。
お弟子さんを探している時に、私は女学校で習った事があるから、また是非やってみたいと言われ、家に来てくださる事になりました。後にその学校出身の方にお会いすると、「そうそう大きな枠に張って教材を持ち歩いたなぁ」と、とても懐かしんで下さいます。着物離れの昨今、10年ほど前のことですが、西陣で中学校に和裁の教科を作ってもらえないかと署名運動などしていたこともありました。
日本刺繍、手刺繍と言いましても、和装に限らず、額絵、旗、劇場の緞帳、祇園祭の鉾の胴掛け、水引、お寺の本堂仏様の前(家庭の仏壇)に掛ける打敷き等、いろいろあります。
額絵は風景、植物、動物等を写生風に刺します。昔はこのような仕事を貿易の仕事と言い、主に海外へ輸出していたのではと思います。劇場の緞帳などは、大きな刺繍台に布を張り、針を上下させるのに、上は上の人、下は台の下にもぐっている人が針の出し入れをする、こんな方法で刺繍が施されていたようです。(今も同じなのかも知れません)
家でも先年、とあるお寺の秘宝とも言われる100年以上前に作られたという打敷きの傷みを修復してほしいと頼まれてさせて頂いたのですが、よくぞここまで、というような立派な刺繍に驚きました。修復の後、お寺の記念法要で、檀家の皆さんにお披露目をして皆さんに喜んで頂いたそうです。
祇園祭の胴掛け水引等は、100年200年前の物も各鉾町に保存されていますが、本当に立派なものです。これは祇園祭の時期に鉾町あたりに行くと見ることができます。皆さんも是非一度見ておいて下さい。
日本刺繍のあれこれ、京都の豆知識など、紹介しています。